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位置と地勢

野沢温泉村は、長野県の北部に位置し、南側は毛無山の尾根を境に木島平村に接し、西側は千曲川を隔てて飯山市と境をなしています。 また、北側及び東側は高倉山の尾根境から毛無山東斜面にかけて栄村と接しており、海抜高度差は、村北部の明石(300m)から、 毛無山(1,650m)に及び山谷形で起伏が多い地形となっています。
村の総面積は57.95km2、東西9.1km、南北11.5km、周囲38.2kmとなっており、村土はその50.7%を山林が占め(平成8年県統計書)、 景観の良さなどから上信越高原国立公園に指定されており、それらの一部を含む297haが現在スキー場区域となっています。
地形は東に三国山脈の傍系としてそびえる毛無山(1,650m)を頂点として、西に流れる千曲川に傾斜し、村内に流れる一級河川の赤滝川、 湯沢川、池の沢川はいずれも毛無山に源を発して千曲川に注いでいます。

野沢温泉の歴史

野沢温泉村が「湯山村」として歴史に現れてくるのは、鎌倉時代中期の文永9年(1272)が最初であり、 江戸時代初期にはすでに24軒もの宿屋があったといわれ、明治3~5年には24,863人の湯治客が訪れていたと記録に記されています。
このように、古くから温泉地として栄えていました。その後、明治45年に飯山中学校の生徒であった村出身者が初めてスキーを滑り、 大正12年には野沢温泉スキー倶楽部が発足し、スキー場の開発とスキーヤーの誘致、宣伝に努力するなど温泉とスキーを中心としたむらづくりが始まりました。

また、大正12年の飯山鉄道の桑名川までの開通、大正14年の長野電鉄の屋代・木島間の開通など村までのアクセスの改善を背景に、 数々のスキー競技会の開催などにより、野沢温泉スキー場は着実に発展を遂げてきました。
昭和28年に豊郷村から野沢温泉村に村名が変更され、昭和31年には市川村と合併し、現在の野沢温泉村が誕生しました。 昭和30年代には公共下水道をはじめ道路などの社会基盤の整備を進める一方で、昭和38年にはスキー場が施設を含めてすべて村営となり、 住民と行政とが一体となった観光地開発が進み、一層の充実が図られてきました。
また、昭和46年2月にはオーストリアのサン・アントン村と姉妹村提携が行われ、以来、スキー教師交換交流、村民交流が行われ、国際親善に役立ってきました。

平成に入ると、村道整備、克雪対策、農業集落排水事業、福祉施設の充実など生活環境整備を着実に進め、 また、おぼろ月夜の館-斑山文庫-などの教育文化の向上を目指した施策を展開してきました。 さらに、平成10年には長野五輪の会場の1つに野沢温泉スキー場が選ばれて、世界的に野沢温泉の名前が広がりました。 それに伴い、上信越自動車道信州中野IC及び豊田・飯山IC、北陸新幹線が長野市まで開通。 平成27年3月には新幹線が飯山駅まで延伸し首都圏、名古屋圏等外部へのアクセスの便が飛躍的に良くなり、居住空間及び生産活動における立地条件の改善が図られています。